”社会的必然性”としてのケータイに真正面から向きあった貴重な書
携帯電話、もしくはモバイルそのものならびにその活用法に焦点をあてた書物は数有れども、 「社会現象としての携帯電話」に焦点をあてた書物の数は意外と多くない。またそういう書物の中でも、社会現象を批判的に捉えた立ち位置のものはまたそれなりに存在するが、 "社会的必然性”とともに分析した書物となるとさらにその数は少なくなる。 その意味で、発刊から数年経つが、この書は貴重な一冊といってよいかと思う。 (”ナマモノ”なのでタイミング難しいかもしれないが)ぜひ文庫化などで残していただきたい。 またこの書に"違和感”を持つ人々もいるかもしれない。勿論それもありであろう。ぜひそういう論調/焦点からの書が次々と出ることを期待したい。 (Blogなどでも関連エントリーは見られるのだが、やはり出版されることの最大のメリットは、”(ある程度)深められた論考”に読者として接することが可能なことである。 その意味では、Blogベースのものをよく煎じ詰めて出版する、というスタイルにも期待を持てるかもしれない・・・) インターネット/ケータイetc.を通じた、コミュニケーション/コミュニティの変容は、日本にとっての(さらには各国にとっての)21世紀の大きな社会的課題でもあり、また社会的期待でもあるだろう。 この分野で先端を走っている(!?)日本だからこそ、考察し、また発信できることが少なくないのではなかろうか? そんな今後への期待も踏まえて、星5つ差し上げても良いと感じたところ、4つとさせていただいた。
携帯の不思議
斎藤環や山田太一のインタビューがおもしろかった。 普段普通につかっている携帯が、いろんな可能性をもってるんだなあ と感じさせられた。 携帯をなんで現代人が手放せないのかがわかった気がした。 21世紀の人もずっとそうだろうと思う。
まるで7、8年前に書かれた本のよう。
この本全体に漂う「古臭さ」は一体なんだろう? 今更ケータイについての社会現象を語るのにオウム真理教や少年犯罪を持ち出されても、そこには何のリアリティもないと思う。眉村卓や星新一を引き合いに出して説明するに至っては、時代錯誤もいいところ。著者にとって、「今」は、既にリアルタイムとして受け止めきれていないのではないか。期待して読んだだけに残念です。
宝島社
天皇・反戦・日本―浅羽通明同時代論集治国平天下篇
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